メッセージ

フランスの思い出
(Interviewed by 友の会事務局)

フランスの思い出 Vol.4
Q. お二人は海外のコンクールで入賞されていますが、特に印象に残っていることなどがありますか?
A. (Yumiko)
私はフランス国内で行われたコンクール以外に、ノルウェーで開催されたグリーグ国際コンクールなどフランス国内以外でのコンクールにも参加しました。 国内以外のコンクールの場合、移動での疲れや、限られた時間しか確保できない練習の中での演奏への不安感など、 見知らぬ土地で自分のコンディションを整えながら本番で力を発揮する事の大変さを強く感じました。
Q. そういった中で、良い結果をだされたわけですが、どうやってコンディションを整えられたのでしょうか?
A. (Yumiko)
最初からうまくいったわけではありませんが、色々な経験をしていく中、いかにベストな状態でいつも通リの演奏が出来るかを考えるようになりました。 その為にコンクールには、日程より早めに到着するようにして、会場や練習場所を確認しておいたり、期間中、体調を崩さない為にはお食事が大切なので、簡単な日本食などを必ず持って行くようにしていました。 後は、コンクールの時は、妹について来てもらうと必ず良い結果になるというジンクスが自分の中であったので、無理を言って一緒に来てもらっていました。 妹のお陰で緊張感も少し和らいで、落ち着いて演奏のことだけを考えることが出来ました。 そういった演奏以外での不安を一つずつ取り除くことが、良い結果に繋がったように思います。
Q. 千恵さんが入賞されたコンクールは、どのような感じでしたか?
A. (Chie)
私はちょうど日本に帰国する年に、グラズノフ国際コンクールを受けました。 コンクールは4月だったのですが、2か月後の6月は、私の通う音楽院の卒業試験だったので、その前の良い勉強になればと思ったことと、留学中の勉強の成果を試せればという思いもあり、挑戦してみることにしました。 またグラズノフは、私が中学生の頃初めて聴いて感動し、憧れたバイオリン協奏曲を作曲した作曲家だったので、グラズノフの名前がついたコンクールというだけで、受けてみたいという気持ちになりました。 グラズノフがロシアの作曲家だということもあり、ロシアの優秀な学生の方達も受けに来られていたのでとても勉強になりました。
Q. そのコンクールで3位に入賞されたわけですが、結果がわかった時は、どんなお気持ちでしたか?
A. (Chie)
私の前後に演奏した方達は、ロシアのまだとても若い学生でしたが、完璧なテクニックで、いとも簡単に難曲を弾きこなしていて、衝撃を受けました。 それを聴いて、自分は賞に入るのは難しいだろうなと思ったので、結果発表もみないで帰ろうとしたほどでした。 ですから、結果を聞いて嬉しいというより、少しビックリしました。 ただ自分自身は、卒業試験の前の良い練習と思っていたので、あまり緊張せず落ち着いて演奏できたので、今考えると、それが良い結果に繋がったのかなと思います。 日本とは時差があり真夜中でしたが、心配していると思い、両親に電話をしましたら、起きて連絡を待ってくれていて、とても喜んでくれたので、その事が一番嬉しかったのを覚えています。 結果に関わらず、留学中、日本からいつも励まし応援してくれた両親に、感謝の気持ちで一杯でした。
Q. 海外では、夏に音楽祭やセミナーが開催されるそうですが、その時のお話などお聞かせいただけますか?
A. (Yumiko)
私はニースやトゥールなどの講習会に参加しましたが、受講生はフランス以外の国からも沢山参加されていたので、自分のレッスンだけでなく他の方のレッスンも聴講させてもらい、勉強になりました。 初めて参加した講習会では、フランス人の家庭にホームスティをさせていただいたのですが、まだフランス語も出来ない頃だったので、なかなか会話に入っていけなくて大変でした。 ですがホームスティ先の方や他の受講生達と話をすることで、少しずつ言葉を学んでいくきっかけにもなり、音楽においても、また語学においても、良い経験をさせて頂いたと思います。 期間中は毎日が充実していて、講習会の終わりが近づくと、いつも残念な気持ちになっていました。
(Chie)
私は毎年ロワール地方、お塩で有名なゲロンドというところで開催される音楽講習会に参加していました。 そこでは、パリの音楽院だけでなく、色々な音楽学校の生徒さん達が来ていたのでお友達も沢山できました。 留学中の4年間、毎年参加していたので、1年ぶりに演奏を聴いてお互いの成長を褒めあったり、近況を報告しあったりしていました。 私が初めて講習会に参加したのは、フランスに留学して2か月もたたない頃だったのですが、フランス語もまだよく理解できないような状態だったのに、 合宿のように毎日みんなで食事をしたり、室内楽の授業ではグループを組んで合奏したりと、頭がクルクルと回ってしまって1日目にしてぐったりしてしまい、今思い出してもどうやって切り抜けたのかな?と思ってしまうほどです。 そんな私も留学生活4年たった最後の年には、夏休みすべてを使って、フランスでは講習会と音楽祭のセミナーに参加し、その後すぐにスイスで開催されたマスタークラスに参加するほどタフになりました。(笑)
Q. 音楽祭や講習会ではコンサートなども行われたと思いますが、何か思い出に残っていることなどがありますか?
A. (Yumiko)
期間中は色々な場所でコンサートが行われていましたが、先生方による素晴らしいコンサートも間近で聴けますし、受講生のコンサートもレベルが高く、大変勉強になりました。 私はセミナーに行く前に、新しい曲を何曲か用意して、講習期間中に仕上げてコンサートで演奏することにしていました。 短期間で曲を仕上げ、人前で演奏する事はとても重要なことなので良い経験になりました。 思い出としては、コンサートにお世話になっていたホームスティ先の方達が、家族みんなで聴きに来て応援して下さったことがとても嬉しかったです。
Q. 千恵さんは音楽祭で、「若い優秀な演奏家」に選ばれてコンサートに出演されていますが、いかがでしたか?
A. (Chie)
その音楽祭は私が日本に帰る前、最後に参加した音楽祭で、フランスのナンシーという所で開催されていました。 そこに参加する生徒の中から選ばれた6人で、セミナーを受ける時間以外に地域のホールや美術館、病院などで、1週間ほとんど毎日コンサートをして回りました。 その時のことが、日本に帰ってからの演奏活動につながっているように思います。 その頃の私は、クラシックのコンサートはホールで演奏するというイメージしかなかったので、地域の方達に、気軽に、また身近にクラシック音楽を楽しんで頂けるコンサートというのは初めてで、とても貴重な体験でした。
有難うございました。フランスでのいろいろな体験が、今のお二人のコンサート活動に繋がっているのですね。

フランスの思い出 Vol.3
Q. お二人はフランスで本格的にデュオを組まれたとお聞きしましたが、小さい頃から姉妹で活動されたいという夢が、おありだったのでしょうか?
A. (Yumiko)
小さい頃はあまり考えたことはありませんでしたが、母は、将来二人でアンサンブルが出来たらと思い、違う楽器を習わせてくれたようです。 2人で初めて合わせたのは、お互い習い始めて間もない頃の妹のヴァイオリンの発表会でしたが、 確かフォスターの「主人は、冷たい土の中に」という曲であったと思います。 曲の始まりを二人でピッタリと合わせる事が難しく、私が妹に「さんハイ!」と言って弾き始めたことを懐かしく思い出します。
(Chie)
それからも私の発表会や、大学に入ってからは試験などがある度に姉に伴奏をしてもらい、 一緒に演奏していましたが、将来デュオを組んで活動することになるとは思ってもいませんでした。 仲が良かったこともあり、自然な流れでアンサンブルを続けておりました。
Q. それでは、何かきっかけがあったのですか?
A. (Yumiko)
その後フランスに留学してからは、妹のヴァイオリンのレッスンに、毎回伴奏者が必要となり、 二人でレッスンを受けていた時に、先生から本格的にデュオを組んでみてはどうかと勧められ、デュオを結成する事となりました。
(Chie)
私の恩師であるデビー・エルリー先生は、室内楽の授業にも大変力を入れておられたので、 アンサンブルについて沢山のことを教わり、また姉とのデュオ結成を勧めてくださり本当に感謝しております。
Q. デュオを組まれてからは、それまでお二人で演奏されていた時と比べ、何か変化がありましたか?
A. (Yumiko)
私にとって妹との演奏は、姉として妹をサポートするような気持ちが強かったと思いますが、 デュオとしてとなると、お互い対等な立場で演奏しなければいけないので、そこに大きな違いがありました。 対等に意見を言い合うということは、それぞれの演奏技術も向上させなければいけませんし、 最初は二人で合わせるということが、今までの延長線上にある気がして、新鮮な気持ちで取り組むことが難しかったように思います。
(Chie)
私も、「姉なら自分がどんな演奏をしても合わせてくれる」ということが当たり前になっていて、そこに甘えがあったと思います。 「姉妹だから何も言わなくても自然と息が合う」というのではなく、お互いが一人の演奏者として認め合った上で、 二人の音楽を作り上げていかなければ、本当に素晴らしいアンサンブルにはならないということを、勉強する中で学んでいったように思います。 そんな中、デュオを結成して1年ほどたった頃だったと思いますが、ある演奏会に行ったことで私たちの気持ちに変化がおこりました。
Q. それはどのような、コンサートだったのでしょうか?
A. (Yumiko)
それぞれソリストとして活躍されているピア二ストとヴァイオリ二ストの方のデュオのコンサートでしたが、その方達の演奏はとても生き生きとしていて、 まるで競い合っているかのごとく、熱演でありながらも、お互いが引きたて合っていて、まさに二人で一つの音楽を作り上げていました。 これが本当のデュオの演奏なのだと感じた時、あんな風に、二人で一つの芸術を作っていくような演奏が出来るようになりたい。 その為にも、もっと真剣にデュオの勉強がしたいと思うようになりました。 二人で興奮してコンサート会場を後にしたことが、今でも思いだされます。
Q. 有難うございました。
  さて、お二人のフランスでの日常生活の苦労話は、前回(Vol.2)お聞き致しましたが、音楽の勉強においても、苦労されることがありましたか?
A. (Yumiko)
西欧の方達は、自分の意見がはっきりとしているので、音楽においても主張する部分があり、表現力の違いを強く感じて、 それをどう克服していくかということが、一番の課題だったように思います。
(Chie)
先生の言われる「演奏の幅広さ、表現の大きさ、自由さ」という事が、本当の意味では、なかなか理解できず苦労したように思います。 留学して間もないころの私は、いかに綺麗にミスなく演奏できるか、ということばかり考えていたように思います。
Q. それをどうやって克服されていったのでしょうか?
  また今でも、お二人がスランプになるようなことがあった時は、どのように解消されているのでしょうか?
A. (Yumiko)
演奏技術においては、腕や体に力が入ってしまうと、音の伸びも悪くなってしまうので、 脱力法(体の力を抜いて演奏する方法)を習得することで、表現力の課題を克服していきました。 それが、「表現の自由さ、演奏の幅広さ」ということに繋がっていったように思います。 演奏でスランプになってしまった時は、マイナス面に目を向けると更に落ち込んでしまうので、 自分の強みを見つけて、それを極めていけるように心がけています。
(Chie)
デュオの曲というのは、ソナタなど演奏表現が難しいものが多いので、デュオの勉強を始めたことで、 お互い、ソロの演奏においての表現力という課題も少しずつ克服できたのかなと思います。 ただ留学中には、努力しても思うようにいかず、「もうやめて日本に帰りたいな」と弱気になってしまう事もありました。 ある日、ふとつけたテレビに、私の大好きな演奏家メニューインとオイストラフという二人の巨匠が演奏している古い映像が流れていました。 バッハの二つのヴァイオリンの為の協奏曲という曲でしたが、素晴らしい演奏に感動したのと同時に、 二人が本当に楽しそうに笑顔で演奏している姿を見て、 「自分は、音楽の楽しさや、ヴァイオリンを好きという純粋な気持ちまで、なくしてしまっていたんだ」と思いました。 あの時、テレビをつけていなかったら、挫折して日本に帰っていたかもしれませんね (笑) 。 ですから今でも落ち込むことがあった時は、この曲を聴くと、その時の事を思い出して「また頑張ろう。」と前向きな気持ちになれます!
有難うございました。フランスでのご苦労が今のお二人の演奏に繋がっているのですね。

フランスの思い出 Vol.2
Q. フランスの音楽院の様子など教えていただけますか?
A. (Yumiko)
私の通っていた音楽院は、フランス人の学生がほとんどだったのですが、レッスンの時、まだまだ充分に弾けていないような状態であっても、 先生と対等に議論し、自分達の意見をはっきりと伝えていることに、初めはびっくりしました。 フランスでは、レッスンに限らず、自分の意見や権利を主張するので、それができないと理解してもらえないということに、慣れるまでは戸惑いました。 ただ自分の考えを率直に表現するということは、演奏する上でも、とても大事なことだと思うので、良い勉強になったと思います。
(Chie)
私の音楽院の方は、フランス人の方以外にロシアや東欧、中東、アジアなど様々な国の方が在籍されていました。 アンサンブルの授業では、その方達と一緒に演奏することもあり、音楽を通して交流を深め、それぞれの国の文化に触れることができました。 お互いに留学生ということもあって、会話も弾みました。
また音楽院での試験は、1次予選に通過した後も、本試験の為に沢山の曲を用意し、試験当日に曲目を指定されるなど、 試験というよりはコンクールのような感じで、日本とは随分違っていたので、初めはそのシステムに驚きました。
Q. 外国生活で一番大変なことは、やはり言葉の違いだと思いますが、どのように勉強されましたか?
A. (Yumiko)
私の場合は、急に留学することが決まったので、フランス語を勉強する間もなく渡仏し、非常に苦労しました。 日常会話には、少しずつ慣れていきましたが、私の音楽院の先生は、英語を全く話されなかったので、速いテンポのフランス語についていけず、大変でした。 慣れるまでは、レッスンを録音し、帰ってから何回も繰り返し聴くなどして単語を覚えていきました。
(Chie)
私は姉より半年早く渡仏していたので、音楽院に入学するまでの何ヶ月か、語学学校に通いました。 ただフランス語は初歩の初歩のような段階の時に、銀行口座の開設や滞在許可証の申請など、 難しい手続きばかりで、なかなか思うようにいかず、気持ちばかり焦りました。 そんな時知人に、テレビのアニメーションは、分かり易い言葉を使っているので、 聞き取り易く勉強になると勧められ、テレビを見て、分からない言葉があれば書き取って、辞書で調べるなどして、勉強しました。 少し経ってからは、フランス人の先生に個人レッスンを受けることになったのですが、 先生が、「私もヴァイオリンを習いたいので、エシャンジェ(交換授業)をしませんか?」と言って下さり、 私がヴァイオリンを、先生がフランス語を教えて下さることになりました。 その先生には、本当に親切にして頂き感謝しています。
Q. お二人はパリにお住まいでしたが、音楽院などにはどのようにして通われていたのでしょうか?
A. (Yumiko)
パリは地下鉄の路線が充実しているので、ほとんどメトロ(地下鉄)を利用していました。 慣れてきた頃、バスだとパリの町並みを見ながら移動ができるという良さに気が付いて、 時間がある時には、出来るだけバスを利用するようになりました。 (地理を把握していないと、降りる所を迷ってしまうかもしれませんが、パリの観光にはオススメです。)
(Chie)
地下鉄やバスでの思い出としては、フランスではストライキが多いので、 ストがあると場合によっては何日も交通機関が動かなくなってしまい、真冬の凍えそうな時に、 学校の試験に行かなくてはいけなくて、姉と二人、震えながら何kmもの道を歩いて行ったことがありました。 今では良い思い出です。(笑)
Q. 日曜日など、学校がお休みの日にはどんな所に行かれましたか?
A. (Yumiko&Chie)
二人とも絵画鑑賞が趣味なので、日曜日ごとに、美術館巡りをしていました。 美術館以外では、教会や公園巡りも良くしましたが、パリには名所が数多くあるので、留学中には行き尽くせないほどでした。 また、フランスでは日曜日の朝に必ずコンサートがあり、よく二人で聴きに行っていました。
Q. 有難うございました。フランスに行った時は、美術館に是非行ってみたいですね。

フランスの思い出 Vol.1
Q. お二人はそろってフランスに留学されていらっしゃいましたが、ご出発は千恵さんの方が半年先だったとお聞きしています。
  お一人で心細いこともあったのではありませんか?
A. (Chie)
出発前は、一人でも何とかなると気楽に考えていたのですが、いざフランスのシャルル・ド・ゴール空港に着いて、 自分のこれから住む家に到着した時には、今までに味わったことのない不安と孤独感で一杯でした。 気を取り直して近くのスーパーや郵便局、銀行などの場所を確認し、やっとその日の夕食の材料を買い、 家に帰ろうとした時には、あたりは真っ暗でした。
行きがけに目印にしていたパン屋さんやお魚屋さんは、全て閉まっていて、全く違う景色に見え、 方向音痴の私は、どんどん違う通りに入って行き、結局、家から歩いて5分くらいのスーパーから自宅にたどり着いたのは3時間後でした。 家について夕食の用意をし、日本から持ってきたお米を一口食べると、いつのまにか涙が出ていました。
それからの毎日も想像以上に大変でしたが、あの時一人で頑張った経験が、後にとても自信になりました。 でも半年後、留学が決まった姉を、空港へ迎えに行く前日は、嬉しくて眠れなかったですね。
Q. 裕美子さんは、いかがでしたか?
A. (Yumiko)
妹が慣れない地で一人頑張り、生活もようやく落ち着いた頃に行った私は、随分恵まれていたなと思います。 そのことについては、今でも妹に頭が上がりませんね。(笑)
私はドイツに留学しようと思っていたこともありましたが、今考えると、同じ国で勉強できたことが、 現在のデュオの活動につながっていると思うので、フランスに留学できて良かったと思いますし、 お互いにしか分からない苦労を一緒に乗り越えられたという事は、とても大きかったと思います。
Q. フランスの気候や、食生活はいかがでしたか?
A. (Yumiko)
気候については、体が慣れるまで、一年目は大変でした。
日本に比べると、夏は涼しく、9月からはすっかり寒くなり、4月上旬までその寒さは続きます。 その上10月頃からは、ほとんど曇り空で、午後3時・4時になると薄暗くなるので、日の光が恋しくなりました。 食材については、日本ではあまり見かけない種類の野菜や、チーズの名前を覚えるのは大変でしたが、レストランで、 フランス料理の詳しいメニューが分かるようになった時には、嬉しかった覚えがあります。
また、フランスは多国籍なので、色々な国の方が自国のレストランをされていて、フランス料理だけでなく、 ラオス料理やベトナム料理、モロッコ料理など・・・その国々の料理を身近に楽しむことができました。 でも慣れるまで、日本食が大好きな私達は、よく母に頼んで日本の食材を送ってもらっていました。
(Chie)
日本は湿度が高いので、梅雨の時季などの楽器の管理にはとても気を遣いますが、ヨーロッパは湿度も低く、楽器のトラブルも少なかったです。
食生活といえば買い物ですが、野菜や果物の買い方が違うことに、初めはびっくりしました。 お店では、野菜や果物の欲しい量だけを、計りの機械に載せ、ボタンを押すと、その日の価格とグラム数によって、 値段のついたシールが出てくるので、初めて買い物に行った時には、そのやり方が分からず、周りの人達を長い時間観察して、 ドキドキしながらにんじんを1本だけ買った思い出があります。(笑) チョコレートやケーキは、日本の物より少し甘く感じましたが、やはり美味しかったですね。



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